大判例

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東京高等裁判所 昭和30年(ネ)349号 判決

控訴人 熊谷四郎

被控訴人 三浦清

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人は控訴人に対し、原判決添付目録記載の土地を引き渡し、且つ、昭和二九年一月一日以降右土地引渡に至るまで一ケ年金三四万一五九円の割合による金員を支払うべし。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の陳述並びに証拠の関係は、控訴代理人において末尾に編綴した昭和三〇年四月五日附及び同年六月二〇日附各準備書面に基き補述した〈立証省略〉ほか、原判決の事実らん記載のとおり(原判決一枚目裏九行目の「賃借」は「賃貸」の、二枚目裏四行目の「地位を図る」は「地位の不安を図る」の各誤記と認める。)であるから右記載を引用する。

理由

当裁判所は、控訴人の、農地の賃貸借の更新拒絶が農地法第二〇条の許可なきに拘らず有効である、とする主張についての判断(原判決五枚目表一二行目から六枚目裏一〇行目まで。)を次のように改めるほか、原判決の理由と同様の判断によつて控訴人の請求は失当であると判定したので右理由の記載を引用する。

控訴人は右の主張の理由として、農地法の規定の全部又は一部の憲法違反を論ずるのであるが、所論を本件の帰結との関連において見るに、論旨は次の二点に要約されるので、次下順次判断する。

第一、控訴人は先づ次のようにいう。

農地法は第三条第一項において、農地の所有権を移転するには原則として、都道府県知事の許可を要することとし、第二項において小作地につき「その小作農及びその世帯員以外の者が所有権を取得しようとする場合」には右の許可をすることができない旨を定め、第四項において右の許可を受けないでした行為は、効力を生じないこととしている。従つて農地所有者が農地を売却しようとしても、小作人にその資力がないか、故意に買い受けないときは所有者には処分の方法がなく、全く所有権の死滅に等しい結果となるのである。第三者への農地売却を禁じた右規定は、究極のところ権利の剥奪に等しいかような結果を是認するものであり、かかる規定を含む農地法は全体として憲法第二九条に違反するものである、と。

然しながら農業経営の民主化がわが国の民主化にとつて、又農業生産力の増進がわが国民の生存にとつて、それぞれ欠くことのできない基礎条件であることはいうまでもなく、従つて農業経営の民主化、農業生産力の増進をはかることは極めて大きな公共の福祉に適合することといわねばならぬ。農地法はこれらの目的から小作農の自作農化の促進、小作農の地位の安定等必要、適切な措置を講じたのであつて、同法第三条の規定のうち控訴人のとりあげて論難する部分は、一言でいえば小作地を手離すについてはその小作農、その世帯員以外には手離させないことにしたものであつて、かような仕方で小作農の自作農化の促進を狙つたものであるから、それはわが国の現状からいつて、公共の福祉に適合した、合理的な農地所有権の制限といわねばならぬ。

控訴人は右の程度の制限がすでに所有権の死滅の結果を来すとして、憲法第二九条に違反すると主張する。憲法第二九条が第一項において財産権の不可侵を宣言して私有財産制度を認め、又第三項において私有財産を公共のために用いるには必ず正当な補償を要求している趣旨を考え合せるならば、補償なくして行われるその第二項の権利内容の限定によつては、権利を剥奪し又は剥奪するのと同視されるような制限を加えることは、これをなし得ないものといわなければならないであろう。然し、農地が耕作による農業生産を本来の機能とするというその性格に照しても、財産権の一内容たる処分の権限について前記のような制約が附せられたからといつて、直ちに、権利を剥奪し又は剥奪するのと同視されるような制限が加えられたものということはできないのであつて、結局控訴人主張の農地所有権の処分制限を規定した農地法の規定は前記の如く、公共の福祉に適合した合理的な農地所有権の制限の規定なのであり、合憲といわねばならぬ。

従つて右の農地法の規定の違憲を理由として農地法全体の違憲を主張する本論旨は採用できない。しかも控訴人が右の農地法の規定の違憲を理由として農地法全体の違憲を主張するのは、その趣旨とするところは結局農地法第二〇条の違憲、無効を主張せんがためと解すべきところ、これらの規定を比較すれば、仮りに控訴人主張の如く農地所有権の処分の制限の規定が違憲であるとしても、その故にこれと直接の関係なき農地法第二〇条の規定までも違憲であるとせねばならぬ理由のないことは明かである。

第二、更に控訴人は次の如くいう。

農地法は第二一条において小作料の最高額を規定して、市町村農業委員会は、小作農の経営を安定させることを旨とし、省令で定める基準に基き、都道府県知事の認可を受けて、農地ごとに小作料の最高額を定むべきものとし、第二二条において小作料の定額金納を規定して、小作料を定める契約では、その額は右の最高額の範囲内における定額の金銭で定むべきものとし、第二三条において小作料の支払又は受領の制限を規定して、小作料について金銭以外のものによる又は前記最高額をこえての支払又は受領を禁じ、第二四条において小作料の減額請求権を規定して、一定の場合に小作農は小作料の減額を請求し得べきものとし、なお、この小作料の減額請求権に対応する小作料の増額請求権といつたものは定められていない。そして、以上のように地主を小作料において抑圧しながら同法はその第二〇条において農地の賃貸借の更新拒絶は都道府県知事の許可がなければできず、許可なくしてなされた更新拒絶は効力を生じない旨を定めているのであるから、これら一連の規定は地主に対し低廉な小作料の下に土地賃貸の継続を強制するものであり、又地主なるが故にその経済的地位を著しく抑圧するものというべく、従つてこれらの規定の全部少くとも右第二〇条の規定は憲法第二九条に、又同法第一四条に違反するものとして無効である。特に、本件農地についての農地法第二〇条の規定に基く所定の「基準」による「小作料の最高額」による小作料はその固定資産税額にも及ばない(詳細は原判決の事実摘示のとおり。)という実情の下において然りといわねばならぬ、と。

然しながら小作農の地位の安定ということがわが国における極めて大きな公共の福祉に適合する必要、適切な一方策であることは前記の如くであり、そして農地法第二一条所定の「基準」農地ごとに定められる「小作料の最高額」が適正に定められる限りにおいて-その定めが小作農の経営を安定させることを旨としてなされることは同条によつて明かであるから、地主の利益はそれに応じて影響を受けることは免れぬにしても-控訴人主張の一連の諸規定は、小作農の地位の安定を目的とし、そしてわが国における現状からいつて合理的な限度において、地主の権利に加えられた制限の規定というべきであるから、それは憲法第二九条に違反することなきはもとよりである。と同時にかような場合に、地主という社会的身分によつて経済的関係において差別したということになるとしても、それは憲法第一四条に違反するものではない。けだし、同条は、あらゆる場合、あらゆる点で国民が絶体に平等であることを要求するものではなく、合理的な差別は当然これを容認するものと解すべきところ、地主の権利の制限は前記の如く公共の福祉につらなる合理的な制限なのであるから、右にいわゆる合理的な差別というべきが故である。

次に農地法第二一条所定の「基準」農地ごとに定められる「小作料の最高額」が適正に定められなかつた場合について考えるに、かような場合においても少くとも本件で当面の問題である同法第二〇条の規定は憲法第二九条にも第一四条にも違反するものではない、といえる。即ち、農地法第二〇条はその第二項において「正当の事由がある場合」には賃貸借更新拒絶についての都道府県知事の許可は与えらるべき旨を規定しているのであり、そして、右のような場合は正しくこの「正当の事由がある場合」に該当するものとして更新拒絶の許可がなされるべきであるから、同法第二〇条は憲法第二九条に違反して地主の権利を不当に制限したり、第一四条に違反して地主なるが故に不当に差別待遇したことにはならないからである。結局小作料の「基準」や「最高額」の設定がたまたま適正を欠いても、農地法第二〇条が違憲、無効となるものではない。控訴人主張の如く、本件農地についての所定の「基準」により定められた「小作料の最高額」による小作料が固定資産税の額にも及ばない、というのが実情であるならば、更新拒絶の許可は与えらるべき場合なのである。

以上の如くであつて、農地法第二〇条は無効であるから、同条所定の許可なくしてなされた更新拒絶の許可も有効であるとする控訴人の主張は採用できない。

然らば、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であつて本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三八四条第一項、第九五条、第八九条を適用して主文の如く判決する。

(裁判官 薄根正男 奥野利一 古原勇雄)

控訴代理人準備書面

一、原判決の事実中、冒頭原告の求める裁判の項において原判決は「原被告間に別紙目録記載の土地に付小作料金四百三十円期間昭和二十八年十一月二十日とする賃貸借契約が存在しないことを確認する云々」とあるも、原審において控訴人の主張したるは、昭和二十八年十一月二十日を以つて本件賃貸借は期限満了し、期限後においては被告との間に賃貸借が存在せざることの確認を求めたもので、右記載は控訴人の請求趣旨と一致しない。

二、控訴人の主張は原判決事実摘示の通りなるも、控訴人の主張として左の一項を加える。

即ち、「被控訴人は、賃貸借更新の拒絶は県知事の許可を要するところ、控訴人の該許可申請は長野県知事により不許可となりたる旨主張するも、農地法中控訴人主張部分は憲法に違反しその規定は無効であるから、該無効規定に基く知事の不許可処分は本件請求に何等消長がない」との一項を加える。

三、原判決は農地法第一条に付控訴人主張の如く解釈すべき合理的根拠は何等存しないと判示せるも、同条は農地に付耕作者みずからの所有を希望し、耕作者の農地の取得の促進、権利の保護、地位の安定を主目的とし、従来の農地所有者の権利に付ては何等顧慮するところなきものの如くである。同法はこの観点に立ちたればこそ同法第二〇条乃至第二四条の如き農地所有者無視に等しき法規の制定を見るに至つたものである。原判決は、農地法第一条を以て生産力増進を目的とする公共の福祉の面から制定せられたものであると判示せるも、所有権と耕作または処分に関することを主たる内容とする農地法においてかくの如き農地所有者無視の立法を為すは、公共の福祉に名を藉り、農地所有者の権利を不当に圧迫するもので憲法の精神に悖ること甚しいものと思われる。所有権はこれを社会的に観れば、人類の外界支配の規律として、人類の社会生活の発生と共に発達したところの最も原始的な権利と認められるので、それだけ重要な権利であり、これを法律的に観れば、物を直接支配し得る権利であつて、排他性を有し、絶対権として何人の侵害も許さざる権利である。この権利は憲法上も財産権として侵してはならないものとせられ(憲法二九条)公共の福祉に反しない限り立法その他の国政上で最大の尊重を必要とする権利である(憲法第一三条)この点より観れば農地法第一条は前叙憲法の精神に副うものということはできない。

四、また農地法第二〇条においては単に農地所有者と小作人の関係を規定せるものなるに拘らず、所有者の権利行使には農地委員会の意見、都道府県知事の許可等の制限あり、耕作者には小作料減額請求権あるに拘らず、所有者には小作最高限度の制限ありて、如何に収支償わざる場合においてもこれが値上請求権を認められない。しかも、農地所有者と小作人との関係は農地賃貸借関係で、対人関係に過ぎない。憲法にいうところの公共の福祉なる観念は対世関係で、対人関係の法規において、小作人と所有者間にかくの如き差別を設くるは行過ぎである。小作人の権利を前述の如く重く保護するに拘らず、所有者の所得する小作料は、農地の税金にも充たざる結果を生ずる如き制度は寧しろ公共の福祉に反する結果を招来するものであり、憲法第一四条の精神に悖るものである。しかもなお本条を以て公共の福祉上農地委員会の意見や都道府県知事の許可制度を採用して以て所有者の権利行使を制限するものとせば、それは公共の福祉の名の下に、農地所有者の犠牲を必要以上に強いるものであり、かくの如きは憲法第十三条の精神に反する立法でその効力なきものといわざるを得ない、従つて本件に付控訴人の賃貸借契約更新拒絶の申請に対する長野県知事の不許可処分は何等の効力を生ずるものでない。この点に対する被控訴人の抗争は全く理由がない。

五、賃貸人対賃借人の反当損益の比較は原審にて主張の通りである。

控訴代理人準備書面

一、農地法は全体として憲法違反である。

農地法は公共の福祉に名を藉り必要以上に小作人を保護し土地所有者の権利を圧迫するものであるから、憲法上土地所有者の基本的人権を侵害する無効の法律である。例えば土地所有者が賃貸土地を売却せんとする場合先づ法第三条第一項により都道府県知事の許可を得ることを要するのであるが、これも小作人に売却する場合に限るのであつて(同条第二項一号)第三者に売却することは許されない。若し所有者が貧窮に陥り餓死に瀕するも、小作人においてこれを買受ける資力なきかまたは故意に買受けざるときは所有者は処分の方法なく、全く所有権の死滅に等しき結果に陥るのである。若し強いてこれを第三者に売却するにおいては、法第九十二条による処罰の制裁を受けるのである。従つて所有者が一度農地を小作せしめんか、仮りに期間を定むるも、都道府県知事の許可なき限りその返還を受くる能わず、その返還を受けざる限りこれを処分する能わず、究極のところ所有者は農地を抱えたるまま餓死するに至るというも過言でない。かくの如きは果して憲法の精神に副う立法ということができるであろうか。憲法第二九条によれば、その第一項において、財産権はこれを侵してはならないとしている。これは財産権の不可侵を宣言して私有財産制度を認めたものであり、同条第三項において、これを公共のために用いる場合には正当な補償を為すべきことを規定している。

この関係から見れば、補償なくして行われる同条第二項によつては、権利を剥奪するのと同視されるような制限を加えることはこれを為し得ないものといわざるを得ない。究極のところ権利の剥奪にも等しい結果を予想される前叙の例に照せば、農地法はまさに憲法第二九条に違反して無効の法律なりと断ぜざるを得ない。若しこの立法が公共の福祉に基くものならば前叙の例において、小作人がその買受けを肯んぜざる場合には、第三者に売却を許すかまたは政府は須らく農地に対して正当の補償を為すの制度を設くべきである。

第三者に売却を許さずまたこの補償制度も設けず、地主をかくも不利益の立場に陥れるということは、地主は、小作人に対する地主という社会的身分により、経済的に差別せられるものであつて、農地法は、ただに憲法第二九条のみならず、憲法第一四条にも違背する無効の立法といわざるを得ない。

二、仮りに農地法全部が無効にあらずとするも、法第二〇条及び法第二四条は憲法の保障する基本的人権を侵害し、また地主たる身分に対し経済的差別を設けるものであつて無効である。農地法第二五条によれば農地の賃貸借契約は存続期間、小作料の額その他を書面を以て明らかにし、その写を市町村農地委員会に提出を要することとなつている。本件小作契約もその方法をとつたものである。その存続期間を定むるは、期間到来せば当然に返還するとの合意である。即ち当事者は予めその合意を明らかにして農地委員会に通告しておくのである。然らば期間満了のときは、小作人は義務としてこれを返還すべきは当然である。即ちその返還は、義務者として民法第一条の信義に遵うゆえんである。然るに法第二〇条は存続期間を定めその到来したるときにおいてなお且つ都道府県知事の許可を得るにあらざれば地主はその返還を受くる能わざるものとしている。農地法は小作人の地位の安定をその目的とすると雖も、一度存続期間を定めて賃貸借契約が合意成立したる以上は地主と小作人との双務契約である。双務契約である以上両者対等の地位に立つべきは当然であつて期間満了したるに拘わらずなお且つ地方長官の許可を得るにあらざれば返還を受くる能わずとするは公共の福祉観念の行過ぎである。即ち憲法違反の制度である。法第二四条の小作料率は甚だ低額なものであり、地主の権利をこの低額範囲に抑圧して小作人にのみ小作料減額の請求権を認め、地主に如何なる事情ありともその増額請求権を認めざる如きまた同一の誤謬に立つているのである。これらの規定も前項所述の理由に基いて、憲法第二九条に反し、また同法第一四条に反して無効たるを免れぬものである。

(註) 農地は一度小作せしむるにおいては、たとえ存続期間を定むるもその返還を受くること甚だ困難なるため、余剰農地あるも地主はこれを賃貸するを欲せず、農地は釘付状態におかれている実情である。かくの如き現象の生ずるより見るも、法第二〇条は公共の福祉に副わざる規定なることを知ることができる。

三、わが憲法において、国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として国民に与えられるものなることは、憲法第一一条の規定するところである。憲法の保障する基本的人権に付、学者或いは自由権的基本権、生存権的基本権に分類し(我妻)、或いは自然的人権、社会的人権等の区別を設くるも(兼子)所有権は自由権的、自然的基本権に属し、いわば天賦の人権で奪うべからざる権利である(鈴木安蔵氏)。国民はこの権利を濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うのである(憲法第一二条)。故に憲法第二九条は財産権としてこれを侵すべからざるものとし、その内容は公共の福祉に適合するよう法律でこれを定むべきことを規定している。ここにおいて公共の福祉に基く、基本的人権に対する制限の度合に関する問題が起つて来る。

基本的人権は憲法上侵すことのできない権利であり、これは人類普遍の原理である(憲法前文)。従つてこれは原則である。公共の福祉による制限はこの原則に対する例外である。例外なるが故にその度合は国家社会のため必要已むを得ざる最小限に止むべきである。これ学者多数の意見である。若し公共の福祉に名を藉りその制限を大にするにおいては、基本的人権は圧迫を受け、「法律ノ定ムル所ニ従ヒ」なる旧憲法時代に逆行を免れないであろう。農地法はまさに公共の福祉に付最小限の範囲を踰越したるものなることは同法第三条において、農地の処分は都道府県知事の許可を要するものとして財産権としての融通性を極度に制限(侵害)したるに徴し明らかである。殊に本件の如く、当事者が小作期間を定めたる場合になお且つ都道府県知事の許可を受くるにあらざれば農地の返還を求むる能わずとするは、ただに侵すことのできない所有権を死滅化せしむるのみならず、契約自由の原則を破り、権利行使における信義誠実観念を阻害するものである。これらの制度は、地主に対する活殺の権利を行政権に委ねたもので、公共の福祉のための制度としては甚だ行過ぎである。この行過ぎにより地主は甚だしく経済的、社会的の差別待遇を受けるに至つたものであることは前論述の通りである。

かくの如く、この基本的人権と公共の福祉との本質的見地より見るも、控訴人の前記第一、二項の論断は誤まりなきものと思料せられるのである。

然るに原判決は、「農地法は第一条に規定してあるとおり農業の民主化乃至近代化のため耕作者の地位の安定及び人格的独立を図ると共に生産力の増進を目的とする公共の福祉の面から制定せられたものであり、憲法第一四条に違反するものでもなければ基本的人権を無視するものでもない」と判示し以て控訴人に敗訴を言渡したものであるが、その判示するところは、観念論として一応首肯せられるに止まり、基本的人権や公共の福祉に付本質的研究を遂げたる上の判断と認められるところはいささかもない。本法は終戦当時の立法と異なり、昭和二十七年十月より施行せられたのであるから、憲法における基本的人権や公共の福祉に付本質的検討を加えたる上立法すべきであつたが、その検討を忽がせにした結果、前叙の如き憲法違反を招来するが如き立法に陥つたのである。原判決は須らくこの点に着目して本件を審理すべきであつたが、単に皮相の見解を以て前述の如き判示を為したるは甚だ遺憾である。

四、更に進んで憲法上における公共の福祉は何んであるかを検討の要がある。憲法上における公共の福祉は比較的多数人の福祉という観念を以ては未だ足らないのである。学者或いは、公共の福祉とは社会の共同生活の幸福のことで国家の利益というのと同義ではないと説く(佐々木惣一博士日本国憲法論)この説に反対する学者はないようである。従つて社会の共同生活の幸福に該当せざるときは、基本的人権に制限を加うるは許さるべきでない。更に或る学者は、基本的人権尊重を最も中心的な原理とする憲法において、国民各人の基本的人権が可能な限り完全に享有される状態を離れて、「公共の福祉」なるものはあり得ないとしている。(鈴木、兼子、鵜飼、正木、染野共著基本的人権の研究二一頁)されば学者は公共の福祉に名をかりて一部の者を圧迫したりまたは特定の者に特権的地位を認める結果を招くようなことは許されないと論じている(清宮四郎氏憲法要論、同趣法学協会編註解日本国憲法、里見岸雄氏日本国憲法の批判等)然るに農地法は限度を超えて地主を圧迫し、小作人に特権的地位を認めたものである。かくの如きは佐々木博士のいわゆる社会の共同生活の幸福に該当せざるものである。公共の福祉に名を藉りて敢行せられたる彼の農地改革は如何、その苛酷なるに憤激し教員生活三十年の経験を有する教育家にして祖先の墓前に縊死したる例がある(福井県葭原力雄氏の父)。また或る者は農地委員の家七戸を焼払い鉄砲を以て他人に傷害を与うる等の狂気に陥りたる事実がある(長野県諏訪郡境村平出徳太郎氏)。その他自殺、発狂、一家離散等の悲惨事枚挙に遑なき状態であつたが、農地法は農地改革の後を享けてその精神において変るところなく、依然地主を遇すること甚だ薄く、往年の地主は今や転落農民として遙かに小作人にも及ばざる生活に陥れるもの多数あるは争うべからざる事実である。かくの如きは実に公共の福祉に反する結果を招来したものであつて、憲法の精神に反する制度の所産といわざるを得ない。さればこの窮状を打開せんとして全国各地に地主の蹶起団体の結合を見るに至り、昭和三十年一月二十日には東京日比谷音楽堂及び虎ノ門共済会館において、全日本農地犠牲者総蹶起大会なるもの開催せらるるに至り、今や地主の救済問題は社会問題より更に進んで政治問題化するに至つているのである。しかも右蹶起大会のスローガンの一として農地法の改正断行が掲げられ、大会にて農地法第二〇条の廃止が決議されたのであるが、この一事に徴するも農地法は如何に社会の共同生活の幸福に該当せず憲法のいわゆる公共の福祉に適合せざる立法なるかを知ることができるのである。

五、現今農地は全国的に価格昂騰せるも、本件土地所在の地方においては畑地反当二十万円前後であり、宅地は坪当り二千円乃至三千円前後に達している。この状態に比較すれば現在の畑地小作料反当二百二十五円(一ケ年一坪七十五銭)は甚だ低額なること明らかである。殊に控訴人地方の阿南高等学校校地の地代は一ケ月坪十円であるが、本件農地の反当収入二百二十五円は右校地二十二坪五合の一ケ月分の収入に過ぎない状態である。従つて当該農地に対する一ケ年の税額にも達せざる次第である。農地に対する小作料は全国的にかくの如き状態であるが、かくの如く低廉なるは農地法第二四条制限の存する結果である。

故に同条は地主に対し小作人との比較において明瞭に経済的差別を設けたものであつて、憲法第一四条に違背する無効規定である。

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